fuwa fuwa 北海道ど田舎ブログ

北海道で楽しくていねいに子育てをするクルマ好きなおじさんの日々。

最近考えること

前回のブログで書いた通り、今日の日中の気温が12〜15℃と

涼しいではなくて寒いです。

 

感覚としては、この前春になって雪が解けたのに

もう秋かよ!な気分なのです。

 

そんな中、土曜日に保育園の運動会がありました。

 

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新型コロナの影響で、本来6月に行われるものが

2ヶ月半延びました。

 

徒競走の走りや太鼓演奏などを見ていると

月並みですが『成長したなあ』と。

 

集団生活や規律はなかなか家では教えられないので

お友達と力を合わせて頑張る姿に、

『うちではわがままばかり言ってるくせに

やるときはやるのだな』と感心したし、

たくましく見えました。

 

で、次の日の日曜の夜。

 

長男くんの同級生のお父さんが病気で亡くなったと

連絡が入りました。

 

40代前半で私より10歳近く若いのに。

これからの子供の成長を見守れない無念さを思うとね。

 

私の亡くなった父の話なんですが

亡くなるちょっと前から、

私が病室でよく言った言葉が

『会社は大丈夫だから』

でした。

 

父は経営者だったので、心配事は会社が90%。

私の幼少のときから会社が全てでした。

 

父の病気の進行と同じペースで会社の業績が悪くなり、

発病から2年で私と社長交代。

 

優秀だった社員も離れ始め、

『もうダメかもな』と思った時もありましたが、

 運とタイミングが味方して、サポートしてくれる社員も増え

業績は回復しました。

 

心配かけないようにと病室に受注表だとか決算書だとか

持っていきました。

けど、私が言って見せても信用してなかったみたいで、

声が出せない状態ではあったけど

目が『ウソだろと』(笑)

 

まあでも、毎週、病室に嫁と長男くんと行ってたので

亡くなる数ヶ月前からは『なんとかなってるのかな』と

思っていたようでした。

 

治る見込みがない難病だったので

子供の自分の気持ちとしては父に

『何も心配事なく最後を迎えさせてあげたい』

が最大の目標でした。

 

自分の死ぬときがわかれば逆算して計画できるけど

こればかりはね(笑)